小学生のころ登校を拒否った訳。
幼少期は裏山で遊ぶのが日課。
また、近くを流れる川があり少し先からは海に合流していてちょうどその境目でもよく遊んでいました。
ですので公園などはなく、山や川の他に木工所や生コン社、食品工場などが遊び場でした。両親は共働きのため毎日、日が暮れるまで遊び回ってました。
今思えば危険な場所もたくさんありました。
幼稚園も保育園も行くことなく、とにかく自由に好きなように自然の中で楽しむ日々でした。
そんな私も小学校へ入学となりました。
あまり意味も分からず周りから「小学校だよ、勉強するんだよ」と言われ私自身は学校とはなんぞや?という思いで環境に流されながら入学式を迎えました。
入学式当日、翌日からの時間割りが知らされ私はビックリ!!!
勉強時間がありその合間の10分程度の休み時間。朝の会やら帰りの会。私にしたらその分刻みの時間割りに???でした。笑
わかります?
いや、これが学校であり集団生活の始まりなんですがね・・・。
入学してからしばらくは身体測定やらワクチン接種やらでまともな授業がなかったものの、授業が開始されテストや順位などが見え隠れし始めた頃、妙に私はなんか違う!と感じていました。
学校行かない
行きたくない。が始まるのにそう時間はかかりませんでした。
小学一年生から登校拒否。
世間一般では大問題であり問題児でもあります。
二年生になり学校へ行こうとすると、扁桃腺が腫れ熱が出ていました。おかげで私は病弱で学校を休んでいると思われていたのです。精神は正直で嫌なことを無理やりやろうとすると病気になる原理はよく理解できます。
日本の学校は軍隊と言われています。
規律正しい日本の教育。残念ながら海外にはその風習はありません。
教育機関からの押し付け、命令に背くと体罰。私たちは順応なロボットでしかありません。
純粋な子どもが学校教育に疑問を持つ事は当たり前なことであり、素直な気持ちだと思います。
結局、三年生から少しづつ登校はしていきましたが、勉強などまったく追いつくこともなくずっと勉強嫌いでしたね。
押し付けられる権力、牛耳って大人の意のままにコントロールしようという人間社会。
人間という人権はまったく無いような囲いの中で何が自由で何処が自分なのか。
私はそういう世界に生きたいとは思いませんでした。
それは大人になっても同じこと。
いつまでも私は自由であり、自分の感じた事は尊重したい。そしてそれらのもとで沢山の方々を助ける存在になりたいと強く思う。
世の中でいいとされている事や、良いと思わされている物でも、1度キチンと調べる必要は大いにあると感じます。
参考文献として
学校は軍隊をモデルに作られた。その強権体質が、今、子供を潰し始めた。 - るいネット http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=323472